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■ ある晴れた日に (潮騒番外編) ■
開け放ったベランダの窓からぽかぽかと暖かい春の光が入り込み、穏やかな風にカーテンが揺
らぐ。
フローリングの床も程よく暖まり、寝転ぶと肌に優しいぬくもりをあたえてくれる。
とろとろのんびりとした春の静かな午後。
「けんちゃん…ひまだねぇ…。」
ソファーに座って今度の新曲の歌詞をうなりながら考えている俺の足元で、なおちゃんが
ひまそ
うにごろごろしている。
(なおちゃんがひまでも俺はひまじゃない)
かまってほしそうにこちらを見上げている視線をあえて無視し、言葉の海へ俺はダイブし
にいく。
俺の歌詞ができてから作曲するなおちゃんは今はとってもひまで、自分の家にいてもする
ことが
ないらしく、俺の部屋に入り浸ってなんだかだらだらしている。
羨ましいかぎりだ。
「けんちゃ〜ん…ひまだよぉ。」
「だめ!歌詞考えているから!」
無視されたのが気に入らなかったのか、いつの間にか俺の横に座ってなおちゃんがじゃれ
つい
てきた。いつになく甘えん坊モードだ。
そんな珍しいなおちゃんの誘惑を根性で振り切り、歌詞ノートへ意識を向ける。
なおちゃんがひまでも俺はひまじゃない。
締め切りまであと2日しかないのに、未だにノートは半分しか埋まっていないからだ。
しかし…
度重なる”かまって〜”の視線に根負けした俺は一旦言葉の海から上がることにする。
「俺、半分しか歌詞できてないんだよ〜。」
「ふぅ〜んどれどれ」
ほら、と書きかけのノートを見せると本当に退屈だったらしくなおちゃんは素直にどれどれと覗
き込んだ。
「あぁ…ここいい感じ。ここ好き…。」
ぶつぶつ呟くと、さっとソファーから立ち上がり俺の部屋に置いてある予備のキーボード
とヘッ
ドホン・未記入の楽譜を持ってくると本格的に音の世界に旅立っていった。
顔には、さっきの甘えたような表情が姿を潜め、”音楽家NAO”の顔が現れる。
こうなると、なおちゃんは音のことで世界がいっぱいになりしばらく自分の世界から戻ってこな
くなる。
俺はそんななおちゃんを邪魔したくなくて、そっとダイニングテーブルに移動して読みかけの雑
誌をめくり始める。
歌詞の続きは…というと。
なおちゃんの曲ができてしまったら、イメージの合わないところや、字数の問題がでてき
て、も
う一度練り直しになるだろう。
最近いつもこのパターンだ。
表向きは俺の歌詞になおちゃんの曲なんだが、実際は俺のイメージをなおちゃんが具体化して
それに言葉をはめる、というのが正しい。これはもう才能の差なのでしょうがないと思う。
そばでなおちゃんがぐんぐん進化していくのを見ていけるのはうれしいし、自分もなおち
ゃんの
音に負けないように歌唱力に磨きをかけなくてはと考える。
こうしてお互いに高めあっていければ、それはすばらしいことだと思う。
そうしたいと思っていた。
ふと気がつくと…
いつのまにか部屋は、物を書く音とかすかにキーボードを弾く音、雑誌をめくるわずかな
音以外
は聞こえなくなり、静かでゆっくりと流れる優しい時に包み込まれた。
とろとろと穏やかな空間に。
その空間の心地よさに俺は身をゆらゆらとたゆらせながら、いつまでもなおちゃんと穏や
かにこ
ういう時を過ごせたらと願う。
せつに願うが。
開けっ放しになっていたベランダから風が流れ込み、動いた空気に誘われてそっとダイニ
ングか
ら盗み見たなおちゃんの横顔に、いつの間にか傾いた夕暮れの光がかかりもの悲しげに見えた
とき。
俺は現実に引き戻され、思い出した。
あの二年の約束を…
そのとたん今までの幸福感が全身からざぁっと引いていき、すべてが足元から崩れていく
錯覚に
落ちいる。
もう残された時間はあと半分。
昼間の穏やかな優しい空間と、今の淋しげな空間が自分たちにオーバーラップされて、胸
が
きゅーっと痛くなり…目頭が熱くなる。
今がどんなに心地よい関係でも、あと一年で終焉を迎える。
それが俺達の現実。
どんなに願ってもどんなに手をつくしても…
すべてがあと一年で終わる。
それが最初からの契約…
黄昏の淋しげな光の中。
俺はただ立ち尽くすのみだった。
−終−
2004'06'19
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