潮 騒 (後編)




 それは運命だと思った。

 はじめて会った時から彼は私の心を釘付けにした。

 精悍な顔に均整のとれたしなやかな肢体。

 その身体に纏う生気に満ちたオーラは側にいるだけで巻き込まれ、暑気あたりに似た

 軽いめまいを覚える。

 鋭く挑戦的な瞳からは絡みつくような熱視線。

 視線が交差するたびに私の身体にパルスが流れた。

 身体の芯から痺れるような強い強いパルス。

 そして導かれるように歌声を聴いたら…。

 MDで聞いていた以上に生の彼の声は私の音にスコンと嵌っていた。

 天を突き抜けるような高音は、高くのびやかにどこまでも広がり、ビートを刻むほどに

 私の機械的な音に命を吹き込んでいく。

 その歌声と。

 ブースの中からまっすぐに私を見つめてくる潤んだ熱い視線が体中に絡み

 視線だけで犯されているような錯覚に陥る。

 その感覚が妙に生々しくて、私は。

 …イッってしまった。

 でもそれは彼も同じであった。

 潤んだ瞳に猛った中心。

 ブースの中で最高のエクスタシーを感じて。

 
 コドウガハヤクナル…。

 ムネガクルシクナル…。

 イキガデキナクナルホド…


 ブース越し、絡み合う視線に。

 瞳で犯し、犯されて。

 心がとらわれてしまった…。

 その時私は運命っていう意味を体感した。

 私と健太が初めて会った日のこと。

 私達が恋に落ちた瞬間。

 互いに一目惚れだった。

 …だけどその恋は禁忌だった。

 待っているのは悲しい結末。

 二年のリミット付きの。

 利用する側とされる側。

 二年後には離れ離れになる条件。

 …だけど私達は結びついてしまった。

 もう誰にも止められないくらい。

 悲しいくらいに、強く、痛く。

 わかっていながら私達は走り出した。

 わかっていながら。

 …肌を重ねた。




 欲望が尽きることはなくても…。

 悲しいくらい時間は刻々と過ぎていく。

 もうすぐ…。

 「んっ…。あああああぁぁぁ!」

 再び足を開かされ熱い強張りを受け入れて。

 繰り返される挿入に息を詰め。

 抜かれる喪失感に、またひときわ声が上がる。

 抱いて抱かれて一つになって…。

 …いつも願っていた。

 このままずっと一緒にいたいと。

 このまま永遠に時が止まってしまえばと。

 でも二人は理解していた。

 あの歩き出した瞬間から終わりは必ず来るのだと。

 二年間だけのユニット。

 二年間だけの関係。

 二年が過ぎたら遠く離れ離れに…。

 事務所も自宅も…国さえも…。

 二人ともわかっていて踏み出した。

 少しでも長く側にいたかったから。

 どんな終末になるか理解しながら。

 気持ちは止められなかった。

 …だけれども。

 今どんなにきつく抱いても抱かれても、この夜が明けたら。

 すべて…。

 「こんなに愛しているのに!!」

 挑むような瞳に悲しみの色を滲ませて健太となおは深く深く繋がれたまま。

 イッた。




 遮光カーテンの隙間から差す、細く眩しい光でなおは目が覚めた。

 横には黙ってなおを見つめている健太の顔があった。

 二人とも裸で布団に包まっている、夕べの痴態そのままに。

 なおはいつのまにか眠っていたらしい。

 「おはよう、なおちゃん。」

 「けんちゃん起きてたんだ…。」

 うんとうなずいて健太はなおをきつく抱きしめる。

 なおは健太の腕の隙間から壁にかかっている時計を見ると、まだ午前六時を少し回った

 ところだった。

 寝坊すけの健太にしては珍しい。

 というか、健太の目は赤く目の下にはクマができているところをみると、

 眠っていないのだろう…。

 だけれどもなおはそのことを確かめることはしなかった。

 ただ黙って健太の腕の中、鼓動を聞いている。

 「朝がきちゃったね…。」

 そうなおが言うと健太の鼓動は一瞬どくんと強く波打った。

 それと同時に腕にも力が入る。

 「なおちゃん…俺やっぱり。」

 何か言いかけた健太の言葉をなおは口唇でふさぎ、最後まで言わせない。

 「言わないで。」

 (イイタイコトハワカッテルカラ)

 口唇を重ねたまま黙っていると、健太の瞳から一雫涙がこぼれ落ちなおの頬を濡らした。

 「泣かないでけんちゃん。」

 こらえきれない涙が次々と健太の頬を伝う。

 精悍な顔が今はひどく悲しく歪み、瞳からはいつもの熱が消え、頼りない子供のようだ。

 (コンナオモイサセタカッタワケジャナイノニ)

 なおは健太の涙を舌で拭いながら心の痛みに打ち震える。

 健太はなおを抱きしめる力を緩めない。

 嗚咽で体中を震わせながらも、決してなおを離しはしない。

 なおを抱きしめることで自分の気持ちを全身で語っているのだ。

 「っな、なおちゃん…、俺…。」

 「…お願いだから何も言わないで。」

 再びキスで健太の言葉を封じる。

 健太が涙を一雫流すたびなおの心に一つづつ棘が刺さっていく。

 「…終わりにしたくないよ!!」

 「…言わないでって言ったのに。」

 むりやり口唇を剥がし、挑むような健太の声と瞳に。

 なおはうつむいたまま答えた。

 その烈火の瞳で見つめられたら。

 …決心が揺らいでしまう。

 
 最初はこに瞳にとらわれて。

 次にこの精悍な顔。

 そして私を優しく呼び、自由に駆け巡る声。


 なおは健太の濡れた頬にそっと手をやって、輪郭に沿って指でなぞる。

 「二年の約束…だったよ…。」

 極力健太と視線を合わさないように。

 揺らがないように。

 それでも健太の腕の中で、鼓動を聞いているだけで…。

 …まだまだ健太を欲しがっているの自分になおは気がついている。

 (マダコンナニモアイシテイルノニ)

 「二年って…なおちゃんはそれでいいのかよっ。」

 いっそう強くきつく逃がさない、というように健太は腕に力を込める。

 「…けんちゃん苦しいよ。」

 「答えてよ!」

 涙に滲んだ健太の叫びは最後に嗚咽となって、なおの心を突き刺した。

 (モウダメダ…)

 …今日は泣かないって、本音を隠したままでいようって決めていたのに。

 …揺らがないって決めていたのに。

 「じゃあ、どうすればよかったの!けんちゃんと出会った時にはもうすべて決まって

  いたんだよ!次のプロジェクトだって!けんちゃんの行き先だって!全部!全部!!」

 とうとうなおの瞳からも雫がこぼれる。

 「なおちゃん…俺やだよ…。」

 「逢わなかった方がよかったの…ねぇ!」

 どうすればよかったのだろう。

 結末はわかっていたのに。

 止められなかった。諦められなかった。

 出逢った瞬間から互いに欲しくて。

 欲しくて!!

 止まらない欲望に、どうすることもできなかった。

 


 …部屋の中には。

 二人の嗚咽が段々に大きくなっていって…。

 睦みあっていた頃のあの優しい潮騒ではなく。

 とても悲しい潮騒があふれていた…。

 


 …そしてこの日一つのユニットが日本の音楽界から消滅した。


E N D



アトガキ:お目汚し失礼しました。<(_ _)>
H16・05・26 麻生悠乃
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